Norstrilia Simulacre Studio Communicator

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戦闘妖精・雪風<改> 21:58
戦闘妖精・雪風(改)戦闘妖精・雪風(改)
神林 長平

早川書房 2002-04
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神林長平の名作。第三部記念、ではないけれど、ひょんなことから手に入れたので読む。

やはり文句無しによい。

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リスクテイカー 21:53
リスクテイカーリスクテイカー
川端 裕人

文藝春秋 2003-10-11
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マネーをめぐる物語。

マネーと闘い、マネーを稼ぎ、マネーに計られ、マネーを考える。

一言で言えばヘッジファンドについての小説なのだが、読後感はさわやか。
なのは、モラルより何よりどこまでもマネーを追求するヘッジファンド、その原理に則ってビジネスを行う人々を主軸とした物語でありながら、その一方で、そのようなビジネスが持つ負の側面への問いかけや、さらに根源的な問題――マネーとは何か?――という問いをいつもどこかで考えているから、そして、それらの問いを通じて確実に主人公達が新しいものを得て成長していくからだろう。

これだけの巨大な対象について書きながらも、作者の足場はあくまでも(企業とか経済とかそんなんを書くために作られた人間ではない)主人公達にある。主人公と同じ凡庸な人間(コモネスト・カインド)の視線から、マネーをめぐる世界を考えていく。

この辺の、きわめてニュートラルに状況を眺め、できるだけよいバランスを探そうとする感じは、ノンフィクションでの著者の姿勢に通じるものを感じる。
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名古屋 13:12
名古屋駅はカオス。あと全体にスカートが短い。
| よくあるできごと | comments(1) | trackbacks(0) | posted by north
ついに帰らなかった三人の子供たちの話 03:14

1995年から1996年にかけて日本アニメに特異な「ロボットアニメ」という形式を使って語られた物語の中には、ついに日常へと帰ることができなかった三人の子供達がいた。

それは一世を風靡した作品の記憶として、例えば日本のサブカルチャー史が誰かによって勝手に編まれたとすれば、我々が既定のものとして過ごしている日常が確実に壊れうるということを明確に示したあの事件(それを起こした彼らもまた、あの時点では日常に戻れなかったままだった人々だ)のすぐ近くに記されるに違いない。サブカルチャーを発端として起こった出来事、その正の側面と負の側面として。

三人組のうちよく知られ、いまだもって延々と消費し続けられている一組は、そうして歴史上に自らの位置を得るだろう。

だが、そこには置き去りにされたもう一組の子供達がいる。

あの年。

物語の終わりに、ついに日常へと帰らなかった子供達が実はもう三人いたことを、あなたは覚えているだろうか。

僕は忘れていた。

ただ子供心に、その作品はハッピーエンドなのにどうしてか悲しかったという記憶だけが残っていて、そのことを不意に思い出したのだ。だから、この日記は少しのあらすじ調査以外はほとんど記憶だけを頼りに書いていて、実は以前に同じことを書いた人がいるのかとか、そもそも拠っている記憶は本当に確かなのかとか、あんまり確かめていない。まあ、いいだろう。

さて。

そのアニメはちょうど1995年の始めに放映が開始された。監督は高松信司。シリーズ構成は川崎ヒロユキ。そして、メカデザインは大河原邦男―― なのだが、ここで話をするのは『機動戦士ガンダムX』ではない。その前年に彼らが手がけていたのは、名古屋テレビ系列で放映されていたいわゆる「勇者シリーズ」と呼ばれる作品群のひとつ、『黄金勇者ゴルドラン』だった。

勇者シリーズは1990年の『勇者エクスカイザー』から、1997年の『勇者王ガオガイガー』まで全八作、勇者であるロボットと少年というテーマを繰り返し描き続けたシリーズである。ロボットアニメの代名詞とも言える『機動戦士ガンダム』シリーズが比較的高い年齢層を(結果として)対象にしていたのとは異なり、少なくともその中期までは(第七作『勇者指令ダグオン』、そして最終作『勇者王ガオガイガー』に至るにつれ、設定の増加など、より高年齢の視聴者を意識した作品になっていった)、スポンサーでもあるタカラから発売される玩具とのタイアップをより意識した低年齢向けのアニメーションとして作られていた。

『黄金勇者ゴルドラン』はその六作目にあたる。

あらすじはこうだ。小学六年生の少年三人、原島タクヤ、時村カズキ、須賀沼ダイの三人は、ある日勇者ロボット・ドランが眠っている不思議な石を拾い、彼の主に任命されてしまう。その石を狙ってやってくる悪者ワルター(そのまんまのネーミングだ)の追っ手を蹴散らしながら、宇宙に散らばる他の石を探し、最終目的地である黄金境レジェンドラへと旅をしなければならない。

ストーリー自体は冒険記といった趣の「とある場所に冒険に行き、そこで何かの事件が起こる」といったパターンになっている(前半は地球、そして後半は宇宙へと進出した)。年齢層にあわせて子供向けのテイストなんだけれど、主人公ロボットがなぜか子持ちになったり、相手が絶対悪で自分達が正義……といった視点からはずれているところがあったりで(途中で相手の親玉がこちらへ寝返ったりする)、けっこう楽しんだ。

で、それはよいのだが、問題になるのは最終回だ。

最終回で、主人公は最後の敵を倒す――わけではないけど、状況をおさめ、レジェンドラの王様から宇宙を創造する力だかなんだか、やたらとスケールのでかいものを与えられる。けれども、主人公達はこれを放棄して、「冒険が始まる!」と新たな冒険の世界へと旅立つ。

それがエンディングだった。

当時でも何だか衝撃を受けた記憶があって、そのとき考えたのは「家に帰らないとお母さんとかお父さんとかが心配するんじゃ」というなんだか所帯じみた話だった。でも、小学生の僕にとっては外で遊んだら帰ってくるのが当たり前だったし、そもそも彼らは宇宙に出るときすら家族には一言も告げず家を出ていたのだ(事情をよく知っている学校の先生に伝えるという話だった)から、いい加減親も物凄く心配しているんじゃないかなあ、というのが正直な気分だった。

警察とかに連絡して、行方不明者になっていたりして、と思った。

このお話の問題点というのはつまりはそういうことで、これを書くにあたってお話を見直したわけではないので(あらすじは多少調べたけど)正確ではないが、確か、物語が始まってから最後までずっと主人公達は帰る場所を、自分の家族や街や、そういうものを省みなかったように思う。宇宙には色々と面白いことがあって、彼らは終始それに魅了されているようだった。そして、敵も見方も無く、争いもすべてその夏休みみたいな(調べてみて気付いたのだが、主人公達は夏休みの間に家を出奔したのだった)ワクワクした雰囲気に引き込んで(誰もが自分の家の近くにある、そこらの神社でしたみたいな)冒険へと変えてしまう。

それは充分楽しかった。
けれど、その一方でいつもどこか不安で嘘臭かった。

彼らはどこに帰るのだろう?

それが頭から離れなかった。

この疑問は現在でも大して変わっていなくて、僕は、この物語はやはりその点で失敗だったと思っている。今ではあの頃より少しは言葉を上手く使えるので、その疑問を言葉にすることができる。

その時感じた不安と疑問は、つまりはこういうことだった。

終わらない夏休みはない。
ならば、やはり彼らの夏休みも終わるべきだった。

非日常たる物語の終わりには、やはり日常へと帰還するべきだ。そこから外れる作品があったっていい、それはわかる。ただ、少なくとも常にどこかでその場所は意識されるべきだし、子供向けの作品ならなおさら、そこは踏み外してはならなかったのではないかとも思う。

終わらなかったもうひとつの夏(綺麗にはまとまっていなかったせいで、そちらは轟々たる非難を呼ぶことになった)の陰に隠れて――あるいは子供向けの作品だったせいか、ほとんど話題になることはなかったと思うけれど、本当はだからこそ、評論家でもなんでも、アニメを考えて飯を食っている人々はむしろこちらに怒るべきだったのだと今でも思う。

子供に破綻のない、終わらない夏の夢を見させたことを。

僕らの夏休みは、いつでもいつかは終わってしまうのだから、
僕らはいつでも、最後はどこかへと帰っていかねばならない。

終わりを免れるのは、あの時ついに日常へと帰らぬまま物語の外へと放り出された子供達の、いつまでも楽しいけれどどこか悲しい、永遠に終わらない夏休みだけなのだ。
| N.S.S.Info2 | comments(2) | trackbacks(1) | posted by north
塀の上にできる細い道 05:54
と、いうわけで、全部終わったので、現実逃避気味に「書きましたよ」と教えていただいていた『雨のように星は降りて』を読む。

で、読み終わって、何か書こうか、と思った。自分の手持ちのお話は書いてない人間なんだけど、これは書いておかないとなぁ、と思った。

こういう書きはじめであるいはわかるかもしれないけれど、今回は大絶賛ではなかったりする。いや、もちろんお話は面白くて、個人的にはとても楽しめたんだけど、でも、違和感を覚えた部分もあるので、大絶賛ではないのだった。

なんで、ある意味でこれは贅沢な話。

以下、ネタバレをするので気をつけて下さい。先入観を持たずに、先に読むのがおススメ。

さて。

まず、北自身が楽しめたかどうかという話からすると、楽しめた。
ラスト一気にキますw
というのは嘘ではなく、本当にラスト一気に来た。具体的には6章の、ガジェットが展開される部分で、SFファンのはしっくれであり、メタでネタであるものが非常に好きな北は「おいおい通常の学園LASかと思ったらそうなのかー!!」とぐぐいっと引きずられてしまう。それこそ、最終の解説で三只さんが書いてらっしゃるみたいに「kaz神話」(って命名しちゃったのは北だったんだっけ、確か。時間が経ってよくわからなくなってきた)のプラットフォームとしてこの話はありうるのかもしれない。

ただ、だからこそ、どこかでうーん、と釈然とせず残った部分もあった。読み手としてなのか、書き手としてなのか、それはわからないけれども(その区別もつけにくいけど)。

その気持ちは、簡単に言うと「あ、すげえ面白いけど反則だー!」ということになる。

この話のキモ部分は、6章でのSF的ガジェットの展開にある、というのに異論は殆どないだろうと思う。

そこではkazさんの話の基調になっている、エヴァのパロディ全体をつなげることができる多重世界の設定(詳しくは前に書いたのでもう書かない)が書かれる上、それをまた内包してしまう可能性まであるような入れ子的な仮想世界の設定まで展開される。それは日本SFの系列で言えば、神林長平がその著作で繰り返し描いてきて、また今でも飛浩隆(祝増刷!『空の園丁』待ってます!)も『廃園の天使』シリーズで扱っている題材で、例えば国外に目を向ければグレッグ・イーガンなどの当代一と言われるような作家も扱っている(『ディアスポラ』は近かった、はず)、ポピュラーだけど、多様な可能性を持っているアイデアだ。

このアイデアをエヴァ二次という部分で使うことの意味(エヴァ二次全体の状況の戯画化とか、大きな物語の復権とか、たぶん書いたと思う。書いてなかったら教えてください、書きます)ということはそれも前に書いたので書かないけど、とっても面白い。アルカもタージエの設定なんか、めちゃワクワクする。

でも、なんだけど、だからこそ、この6章以降と、その前にある5章までとのつながりの薄さが北にはどうしても気になってしまう。

これを読んだ後に今日読んだスレを見て、こんなレスを見かけた。

512 Name: 名無しが氏んでも代わりはいるもの [sage] Date: 2006/04/02(日) 22:25:20 ID: ??? Be:
「スラーズ・マリーツァ」でも思ったが、
最近のkazはなんか内輪ウケの匂いがするなあ。
「雨のように星は降りて」なんて、基本的には何の変哲も無い
凡庸な学園LASで、内輪ウケとして入ってるちょっとした
メタ小説的味付けが、そうした内輪ウケを好む人にのみウケている、
という感じ(三只が返してるのはそういう反応だよなあ)


北が感じたこととはちょっと違うけど、そんなに遠くない。その前に書いてあったレスとあわせて話をするので、そっちも引用しておく。

511 Name: 名無しが氏んでも代わりはいるもの [sage] Date: 2006/04/02(日) 22:16:26 ID: ??? Be:
>>507

テンプレに無い展開つったら「スラーズ・マリーツァ」だろw


北もそうなのだが、基本的に、kazさんもまた、いったんお祭りが終わった後に現れた人である。こういう書き手さんの例として、ちょっと前に提出用を上げた(もう少し修整して、公開用も書きます。今立て込んでるんで、すいません、もう少し待ってください)二次創作論みたいな話ではココノさんを例に出したんだけど、このようなある程度のパターンが出尽くし、その定番化が始まっている局面において活動する人々は、どうしてもその作品作りにおいて以前の作品の影響を受けずにはすまない。

つまりそこでは純粋な「テンプレに無い」は、ありえない……とは言わないまでも、非常に難しい。この局面での新しさはいつも「『あえて』外す」という側面を持つ。

だから、正確にはこのレスは「テンプレを外す」と書かれるべきだったし(そもそもこのテンプレを使った作品の位置の表示という方法自体、参照されるべきテンプレ=原作からある程度独立してしまった参照系の存在をその前提とする)、kazさんの一連の作品はまさにそのようにあった。kazさん自体、最低要素を使う書き手を自認し、しかしそれにも拘らず一味違った作品を書く書き手として独特の位置を占めていた、と思う。

繰り出されるメタ設定も、そのようなそもそもネタな位置においての作品展開があるからこそ、ギリギリの場所で均衡を保っていられたのではないか、と思う。

で。

こうやって考えてみると、なんで今回の作品に違和感を持ったかというと、後半のメタな設定に比べて、前半の学園LASな部分に、「あえて」――つまりは、普通の設定をひっくり返すための根回しという部分がほとんどなかったことによるのかなあ、と少し思う。もちろん、細かく書けば、それは6章以降にこれだけの大設定が展開されるのに、それを示唆する伏線がほとんどない、というところに行き着くのかもしれない(実は、「いつのまにか昇りきった星は、空の天井一杯に広がっていた」という時点で、この話を終えることも可能なのだ)けれど、むしろそういう技術論みたいな話よりは、そのようなある種の「気分」みたいな話の方が先に来ているんじゃないかと思う。

オーソドックスなお話と、エキセントリックな設定の間にある気分のずれ。

その回避方法はどちらかだ。

ひとつは、エキセントリックな設定を語るときには、オーソドックスな話を語らないこと。
逆に、オーソドックスな話を語るときには、エキセントリックな設定は語らないこと。
(オーソドックスな話を語る時に「あえて」を明示してしまうという方法もある。これも後で書く)

これまで、そのいずれも既になされてきた。

例えば、『Kirke』『スラーズ・マリーツァ』『"E"』『猫街慕情ハレ日和』『夕凪ナルコレプシー』は前者であり、『オールド・ファッションド・ラブソング』は後者に当たる。

前者では原作の設定は元の形を留めず、様々に組み替えられている。例えば『夕凪ナルコレプシー』では原作の世界が夢の世界として相対化され、『"E"』『スラーズ・マリーツァ』『Kirke』シリーズについてはエキセントリックな設定自体が中心に据えられ、世界が大幅に組みかえられていて、いずれも、原作の物語自体には必ずしも依拠しない物語として書かれている。それに加えて、例えば『スラーズ・マリーツァ』『わにのゆめ』(お話ではない)などでは、ジャンルの先鋭化の結果、無自覚にその組み換えを行っていると思しき所謂「最低系」作品の戯画化とも言えるような形式すらとっていて、ならばこのような設定を語るには充分だ。

逆に後者では、原作の設定に沿ったとてもオーソドックスな話が語られている。そこでは原作を越えたエキセントリックな設定はほとんど語られず、メタ的な匂いが書かれることがあったとしても、それは物語最後の読者への問いかけ、という範囲で、「あえて」書かれた作品という部分を明示するにのみ留まっている。

しかし、このお話はどちらでもなかった。

このお話の背景にある世界は原作とつながっているわけではなく、あくまでも組み替えられた再構成世界である。でも、それは前半ではわからない。

前半このお話は「学園世界」原作を基にして、いつしかそこから離れていつの間にやら成立してしまった「キャラだけ一緒」な二次創作独自の参照系(いや、好きなんだけどそういうのも。でも位置づけ的にはそうなる)に依拠して成立する作品として書かれる。

そして後半で全容が明らかになったとき初めて、その世界はエキセントリックな設定を中心とした再構成世界であることが判明する。

それは『オールド・ファッションド・ラブソング』のようにずっと原作とのつながりを確保していた作品とも、『夕凪ナルコレプシー』のようにある程度二次創作独自の参照系に依拠しつつもそこを逸脱するという匂いを発し続けた作品とも、『"E"』のようにそもそも表向き原作とは全く異なっている作品とも違っている。

じゃあ違っていたらダメなのか、といえばそうではなく、それは新しい語り方の試みなのかもしれなくて、成功なのか失敗なのか、その判断はわからない。けども、少なくとも個人的には、ここまでくるとSFファンが使っている特殊なオイルとかがないとこのギアチェンジはクラッチがつながらないかもしれないという感じがして、そうなってしまったらつなげられなかった人から「ちょwwwwギアチェンジ急杉ktkrwwwww」とか言われてもそれはそれで仕方ないかな、と思った。いや別にVIPPERじゃなくていいんだけど。

そんな感じで、つーか自分こそこの前話してた時にもタイトルだけ言いやがって早くお話書けって話は棚に上げつつ(すんません、ぼつぼつ書いてます……)、F.O.

ギリギリの場所を歩くのは難しいなあ。
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| N.S.S.Info2 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by north
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